キャバクラという不合理なシステムについて
先日、数年ぶりにキャバクラに行ってきた。
もともと好きじゃなかったんだけど、久しぶりに行ったら絶望的につまんなかった。
なぜおっさんたちが集うと、2次会がキャバクラになるのか。
キャバクラとは、基本的に女の子とオッサンが1対1で話をする形を取るため、一人でいっても大勢で行ってもそこから直接得られるUXは変わらない。
ならば、一人で思う存分楽しんだらいいんじゃないかと。
なぜ複数人で行かなければいけないのか。
考えられる理由は以下だ。
- 俺のほうがモテたとかそういう話をしたい(場の共有)
- 罪悪感(?)を分散したい(共犯者を作りたい)
- お大臣に奢ってもらいたい
まず、場の共有だが、風俗なども複数人で連れ立って行くことがあるようなので、場の共有ということに重きをおく場合、意義があるのかもしれない。
罪悪感の共有は、場の共有の延長線上にあると思うが、共犯意識というのも連帯感を醸成するのに時には必要なのかもしれない。
奢ってもらえそうというのは、一人で行かない理由としてはかなり実利的なものとなる。
自分の場合、誰かがお金を払うなら、付き合いもあるし、行くことがある。
その場合、損害は時間だけで済む。
自分で、お金を払って時間をドブに捨てに行くというのは、マゾすぎる。
キャバクラ好きな顧客とかを接待するのに連れて行くのであれば、接待を代わりに女の子達がやってくれるわけだから、これは有意義かもしれない。
キャバクラ以外の選択肢
そもそも、夜のオッサン達も能動的にキャバクラを選択していない可能性もある。
オッサン達が居酒屋などでひとしきり飲んで気分良くなった後に「次どうしようか?」となったときに、他に選択肢があるだろうか?
もう一軒飲むという選択肢もある。
解散という選択肢もある。
しかし、解散するのも忍びないけど、お腹もいっぱいだし、他の店で飲むのもいまいち。。。
と言ったときに、他に選択肢がないのかもしれない。
若者同士であれば、カラオケ、ダーツ、ビリヤード、バッティングセンターなんてのも面白いかもしれない。
しかし、オッサン達にはそんな選択肢は与えられていないだろう。
かくして、オッサン達は夜の街に消えていくのであった。
いい迷惑だ。
他にもガールズバー、外国人系パブ、オカマバーなどの類似品や風俗に流れる向きもあるだろう。
類似品のほうは、キャバクラと違って取り調べを受ける容疑者のように個別に分断されて問い詰められるわけではないので幾分ましかもしれない。
なぜキャバクラがつまらないのか
絶望的に話が合わない。
以前「金払ってるんだから何の話をしてもいいだろう」と、相対性理論と量子力学の話をひたすらしてみたことがあったが、すごい勢いで女の子がチェンジするという結果になった。
本音を言えば、関数の純粋性がプログラミングに及ぼす影響について語り合いたいのだが、恐らく咬み合わないだろう。
結果、女の子たちの恋愛話を聞かされることになる。
面倒臭え。
キャバクラの今後について
世の中が草食化していっているし、若年層が減っているので、どんどん衰退していくのではないか。
一部の愛好家たちがひっそり楽しむ場所として、じんわり消えていって欲しい。